「竿菊」は、香川県高松市に昔からあった小さな釣具店です。和竿職人だった先々代が始め、3代目の松本功(まつもと・いさお)さんの時代になると、古来からの日本の釣りばかりでなく、ルアーやフライといったスポーツフィッシングについても積極的に取り入れました。1970年代前半のことです。四国の田舎にあって竿菊釣具店は、地元の釣り人や子供たちが欧米から入ってきた新しい釣りを知る窓口になっていたのです。 同時に功さんはルアーなど道具作りにも熱中していきます。作っていたのは主に山深い渓流で使う小さな小さなミノーですが、現在のようにネットで調べれば簡単にルアー作りのノウハウが分かる時代ではありません。自ら創意工夫を重ね、和竿作りの技術も活かし、独自のルアービルディングの世界を築いていきました。気が付けば、店の2階にあった工房で産み出された「HOT SHOT」は、後ろに追随するものがいない孤高の領域にまで至っていました。
しかし生来の職人気質で目立つことが大嫌い。おまけにでお酒が大好きで、おいしい酒を飲むために釣りをしルアーを作るんや」とまで話していた功さんですから、生産数もごくわずかです。長年にわたって「知る人ぞ知る」名品だったのですが、渓流ルアー専門誌に紹介されたことなどで、ようやく「四国に宝石のようなハンドメイドルアーを産み出す名人がいる」と広く認知され始めた矢先。2006年3月、功さんは病気で急逝されました。まだ49歳、これからというの若さでした。先代もその数年前になくっており、功さんにも家族はいません。残されたのは老いたお母さん1人で、店をたたまざろうえませんでした。
故・松本功氏 松本氏の製作したホットショット
それから6年が経ち、私がホーチミン市にルアー専門の釣具店をオープンさせることを決めた時、店名としてまず最初に頭に浮かんだのが「SAOGIKU」です。中学生の頃から竿菊釣具店に出入りし、功さんにルアーでの雷魚釣りなどの薫陶を受け、HOTSHOTに魅了された私が、今は地方銀行の敷地になってしまった伝説の釣具店の一端でも引き継ぐことができたら、という思いからでした。唯一人の遺族となったお母さんに連絡を取り、お願いしたところ、竿菊釣具店の名前を使うことを快く了解していただいたのでした。
2012年7月にホーチミンで再出発した「SAOGIKU」は、ルアーフィッシングの専門店です。星の数ほどある日本製釣具の中から、ベトナムのルアーシーンに合うプロダクトを厳選してお届けします。そしてただ単に道具を売るだけでなく、幅広いルアー釣りの世界とその楽しみ方、自然を大切にする心、釣りを愛する仲間とのつながりなど、まだルアーフィッシング黎明期にあるベトナムで釣りを取り巻くすべての素晴らしい世界をお客様と共有できればと思っています。
まだ子供だった私が竿菊釣具店で釣りの広大な世界を教わり、大人になってからはHOTSHOTを通じてルアーの奥深さに愕然したようにー。いつも新鮮な驚きをお客さんにご提供できれば、スタッフ一同いつもそう考えています。